みどころ

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伊藤若冲《紫陽花白鶏図》 江戸時代・ 18 世紀 個人蔵

花鳥画 花や鳥を題材とする花鳥画は、山水や人物と並ぶ東洋の伝統的な画題。江戸時代の日本では、中国人絵師・沈南蘋による新しい写生画法や、黄檗宗の僧によって伝えられた新しい色彩感、琳派の装飾画法を背景に、伊藤若冲や南蘋派の絵師らによる臨場感あふれる花鳥画が次々と生まれた。

川内倫子《無題》、シリーズ〈AILA〉より 2004年 作家蔵 ©︎ Rinko Kawauchi

川内倫子(1972年~ ) 滋賀県生まれ。身近な生きものから壮大な自然までを撮影し、生と死のあわいや生命の循環をとらえる。2001年に『うたたね』など3冊を同時刊行し注目を集め、「写真界の芥川賞」と呼ばれる木村伊兵衛写真賞を受賞した。国内外で写真集の刊行や個展を開き活躍している。

動植物を鮮やかな色彩で緻密に描写し、ときに枯れ葉や虫食いの跡までをも克明にとらえた伊藤若冲は、生命を賛美すると同時に、そのはかなさにも等しく目を向けた。
花鳥画に表れた、命あるもの、移ろいゆくものへの深い愛着と感受性は、川内倫子の仕事にも通じる。思いがけない瞬間で切り取られた花や木、昆虫、鳥、動物たちは、独特の光をともない、日常に裂け目のように現れた無常の感覚を突き付ける。
若冲と川内の対話に、南蘋派や黄檗画、琳派の系譜に連なる江戸時代の絵師らによる花鳥画を加え、生と死という抗いがたい運命を包み込む、自然の摂理と生命の循環を表現する。


刀 銘 兼房 室町時代・16世紀 個人蔵

刀剣 古墳時代から奈良時代まで、日本の刀剣は反りのない直刀だったが、平安時代に反りのついた日本刀が現れた。最大の特長は刃文や、表面に現れる「鍛え肌」で、特に刃文を意識的に表した刀剣は世界でも日本刀のみとされる。刃文や鍛えの名前は自然から採った言葉が多く当てられている。

鴻池朋子《皮緞帳》 2015年 高橋龍太郎コレクション ©Tomoko Konoike

鴻池朋子(1960年~) 秋田県生まれ。玩具や家具の企画デザインに携わったのち、1997年から、アニメーション、絵画、手芸など様々なメディアを駆使したインスタレーションを発表している。文化の原型である狩猟採集を再考し、牛革を使った《皮緞帳》などを発表。芸術の根源的な問い直しを続けている。

鴻池朋子は、「切る道具」としての刀剣に立ち返り、動物の皮に神話的イメージを施した《皮緞帳》に、平安時代以降に制作された太刀や刀、短刀を組み合わせたインスタレーションを構想した。
精神性の高い日本刀が、卑近な素材と言える皮や混沌としたエネルギーに満ちた始原の風景と出会うことで、その様式美に潜在する、切り裂くという根源的な力が感じられるようになる。鴻池は、「食べる、食べられる」という自然との関係を模索し、近代社会が失った生命力を取り戻そうとしてきた。芸術と生を繫ぐ刀剣と皮の出会いは、さまざまな二項対立に陥った世界を架橋する試みでもある。


葛飾北斎《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》 江戸時代・19世紀 和泉市久保惣記念美術館

葛飾北斎(1760 ~ 1849年) 江戸・本所割下水(現在の墨田区)生まれ。数え19歳で人気浮世絵師・勝川春章に入門し、その後独立。琳派から西洋画まで様々な画法を学び、70年もの間、浮世絵界で活躍。常に新しい試みに挑戦し、膨大な作品を残した。生涯に30数回画名を変え、93回も転居した逸話も残る。

しりあがり寿 《ちょっと可笑しなほぼ三十六景 太陽から見た地球》 2017年 作家蔵

しりあがり寿(1958年~) 静岡県生まれ。キリンビールで広告宣伝などを担当するかたわら、漫画活動を始める。退社後はギャグを中心に、震災や原発をテーマにしたアンソロジー『あの日からのマンガ』など社会派に至るまで様々な漫画を描く一方、美術館などでも積極的に作品を発表している。

いつの時代も人は、遊びや諧謔の精神を通じて、生きる力を活性化させてきた。葛飾北斎の鋭い観察眼に支えられた軽妙な人物描写は、この希代の浮世絵師のユーモアの感覚を、ことのほか豊かに伝えている。
本展覧会では、北斎を敬愛するしりあがり寿が「ゆるめ~しょん」と呼ぶゆるいタッチの映像の新作を、北斎へのオマージュとして捧げる。また、北斎の代表作〈冨嶽三十六景〉とともに、これに着想を得たパロディ〈ちょっと可笑しなほぼ三十六景〉が出品される。浮世絵版画の傑作と、奇想天外な現代風刺画が並ぶことで、時代を超えた笑いの創造力が伝わってくる。


仙厓義梵《円相図》 江戸時代・19世紀 福岡市美術館(石村コレクション)

仙厓義梵(1750 ~ 1837) 美濃国(現在の岐阜県)出身。11歳ごろに仏門に入る。40歳で、博多の聖福寺(臨済宗)の住持になり、同地で没した。62歳に隠棲したのち、本格的に書画を描き始めたとされる。作品はユーモアと慈愛が同居し、現在は白隠とともに禅画の双璧として高く評価されている。

菅木志雄《支空》 1985年 作家蔵 撮影:菅木志雄

菅木志雄(1944年~) 岩手県生まれ。1970年に作品《無限状況》で評価を得て以降、日本独自の美術潮流「もの派」を理論的に牽引するひとりとして活躍する。石、木、アルミ、ワイヤーなど、身近な素材を社会的な文脈から切り離して空間に配置することで、空間のありようを活性化させる制作方法で知られる。

インド仏教に由来する「空」の思想は、この世のすべての存在を否定した先に見えてくる、あらゆるものが依って立つ「縁起」の世界を肯定している。禅における円相は、悟りの境地を表すが、その円相を食べて消そうという仙厓の諧謔には、絶対的存在や自らへの執着を捨てて新たな世界を志向する「空」の思想が息づいている。
菅木志雄もまた、「空」に共鳴してきた。菅は、身近な素材にできるだけ手を加えず空間に置くことで、物質も身体も意識も、相互に依存しあう相対的な存在としてあることを示してきた。「空」にもつながるこの深い思考は、不寛容がはびこる今日の社会に一石を投じてもいる。


円空《善財童子立像(自刻像)》江戸時代・17世紀 岐阜・神明神社 撮影:関市

円空(1632 ~ 1695年) 美濃国(現在の岐阜県)出身。早くから仏門に入り、北は北海道、西は奈良まで巡ったと伝わる。飢饉や災害に苦しむ民衆を慰めるため、行く先々で無数の仏像を作った。大正から昭和初期の彫刻家・橋本平八が円空に心服し、自らの造形に反映させてから、注目を集めるようになった。

棚田康司《つづら折りの少女》 2019年 個人蔵 撮影:宮島径 © TANADA Koji, Courtesy of Mizuma Art Gallery

棚田康司(1968年~) 兵庫県生まれ。90年代より彫刻家として本格的に活動を開始。一本の木から像の主要部を彫り出す日本古来の技法「一木造」にこだわり、繊細さの中に強い決意を感じさせるような少年少女の像などを制作する。近年は、母性をにじませた若い女性にもモティーフを広げている。

円空は、古代のアニミズム的世界観を彷彿とさせる独自の一木造を開拓した。立ち木を仏に彫り上げ、丸太を割った断面の荒々しさを表現に取り入れ、一本の木から複数の仏像を彫り、自然木とその特性を生かしきった。
棚田康司もまた、一木造にこだわり続けてきた。その少年少女の像は、好奇心と恐怖がせめぎあうなかで世界に向かい、頼りなくはあるが決意を持って身を起こす。いまだ神の領域の近くにいる人の精神の切迫と身体のぎこちなさが、素材である木の揺らぎに重なり、彼ら自身が樹木のようにも見える。
円空仏、棚田の彫刻ともに、生命体としての木の揺らぎや振動が、私たちの心と身体に響く。


《月光菩薩》《日光菩薩》 いずれも鎌倉時代・13世紀 滋賀・西明寺

仏像(日光菩薩・月光菩薩) 日光菩薩、月光菩薩は薬師如来の脇侍として、太陽と月をそれぞれ象徴する。今回展示される西明寺(滋賀県)の日光菩薩立像、月光菩薩立像は、834年に、光差す池から現れたと伝わる。中国宋代の影響が見られる一方、古典的な作品の影響である可能性も指摘されている。

田根剛《エストニア国立博物館》 2006-16年 ©️ Takuji Shimmura | Image courtesy of DGT.

田根剛(1979年~) 東京都生まれ。2006年に設計コンペで最優秀賞を獲得した「エストニア国立博物館」、2012年に新国立競技場のデザインコンペに出した「古墳スタジアム」案で注目を浴びる。綿密なリサーチから、場所の記憶を掘り起こし未来をつくる建築「Archaeology of the Future」をコンセプトに活躍する。

天台宗の古刹・西明寺に伝わる二像は、全身を金箔で覆われ、神々しい光を放つ。本展覧会では、国際的に活躍する建築家、・田根剛が、鎌倉時代に由来するこの二躯の菩薩像にふさわしい光のインスタレーションを試みる。
記憶、時間、光は、田根にとって重要なインスピレーションの源である。
数々の受難を潜り抜け、人々の祈りを集めてきた日光菩薩、月光菩薩に魅了された田根は、この像と静かに語らい、深い内面の経験を得られるような空間を作り出す。過去に想いを馳せ、自らの今を見つめ、そこで得られた気づきを明日に生かす。記憶を通じて明日を生きるためのレッスンがここにある。


尾形乾山《銹絵百合形向付》 江戸時代・18世紀 MIHO MUSEUM 撮影:越田悟全

尾形乾山(1663 ~ 1743年) 京の高級呉服商「雁金屋」に生まれる。絵師・尾形光琳の実弟で、本名は深省(乾山は窯の名称)。京都・鳴滝泉谷に開窯。図案を描く兄・光琳もデザイナーとして参加し、2人で新しいうつわのスタイルを次々と創造した。軽妙な意匠と土の味わいを活かし、陶器を芸術にまで高めた。

minä perhonen《ring flower》 2005-06年 秋冬コレクション

皆川明(1967年~) 東京都生まれ。1995年にブランド「ミナ」(2003年よりミナ ペルホネン)を設立。フィンランド語でミナは「私」、ペルホネンは「蝶」を意味する。図案を手描きし、国内の繊維工場と協働でオリジナルの生地を制作。それを元にした、服やファッション雑貨などで良質なデザインを提案する。

尾形乾山は、花弁をうつわの形にするなど、斬新な造形感覚を発揮して作陶に励んだ。実兄の絵師・尾形光琳は、その華やかな琳派の意匠や、手描きの自由で伸びやかな線で乾山焼を彩った。
皆川明による、花や鳥、蝶、森などの自然に着想を得たモティーフや幾何学模様を手描きしたデザインは、有機的な温もり、シンプルな華やかさに特徴がある。それは、乾山が光琳とともに開拓した乾山焼の意匠をも彷彿とさせる。
本展覧会では、乾山のうつわや陶片に、皆川のテキスタイル、洋服、端切れを組み合わせる。用と美の世界を融合したふたりの世界が、ひとつのインスタレーションとして示される。


曾我蕭白《群仙図屏風》(部分)江戸時代・18世紀 2曲1双 東京藝術大学

曾我蕭白(1730 ~ 81年) 京に生まれ、20歳代末には画家に。狩野派・曾我派・雲谷派の画法を学んだとされる。伝統的な題材にデフォルメを加え、細密な着色画から粗放な水墨画まで、堅実な技法を駆使した奇怪な画風で評判をよんだ。生前から評価は高く、幕末明治にはその人気ゆえ多数の贋作も作られた。

横尾忠則《戦場の昼食》 1990 / 2019年 作家蔵(横尾忠則現代美術館寄託)撮影:上野則宏

横尾忠則(1936年~) 兵庫県生まれ。1972年にニューヨーク近代美術館で個展を開くなど、グラフィックデザイナーとして高く評価された。ピカソの個展に感銘を受け、1981年に「画家宣言」。以後絵画に転じ、「生と死」という人間の根源に向き合い、直観に支えられた圧倒的な筆力で制作を続ける。

横尾忠則は、1970年代から曾我蕭白に魅了され、何度もオマージュを捧げてきた。二人に共通するのは、横尾が言う「デモーニッシュ(悪魔的)な」絵画の魅力である。生命の高揚はもちろん、不安や恐怖、いかがわしいものや奇怪なものへの好奇心などを画面に解き放つ。
蕭白と横尾は、イメージのアナクロニズムを創造力に変えてきたことでも類似する。蕭白は、室町後期に活躍した曾我蛇足の古めかしく豪放な画風に倣い、中国絵画や狩野派の高尚さを卑俗に転じて換骨奪胎した。横尾もまた、古今東西の美術や、画家個人の経験、社会の集団的記憶に由来するさまざまなイメージを、特定の時代や空間に縛ることなく画面に横溢させる。